父親が亡くなって思うこと 生涯賃金100万円男のリタイア生活

父親が亡くなって思うこと

2017/12/31

雑記

父親が亡くなってもう2年ぐらい経ちました。
原因は・・・実のところ残された僕達家族でもあまりよくわかっておらず「いろいろなものが積み重なった結果」みたいなんですよね。

当時 父は自宅で眠るように意識を失い、救急車で運ばれたあとそのまま半年意識が戻ることなく亡くなったので、僕達からすると突然父親を失ってしまったためその時の混乱ぶりは相当なものでした。
特に父は自分のことだけでなく家族のいろいろな手続きまで自分でどんどんとやっていってしまうようなタイプの父親で・・・たぶん母や僕に相談をしても時間が余計にかかるだけで面倒だと思っていたのかわかりませんが、とにかく自宅で倒れた時点からいきなり生活する上での知識のない僕達でいろいろとしなければならなくなったことで矢面に立った母親はショックと共に責任的にもとても大変だったと思います。

父は年齢的にまだまだ亡くなるには若い年齢でして、体調が悪くなったのは倒れる2日ぐらい前で、そのとき「最近血圧が高いせいか少しフラフラするんだよなぁ…」みたいなことを話のキッカケにして会話したのが僕は最後の会話となりました。
その会話の後からはあまり食事もしていなかったみたいで、救急車で運ばれる前日の夜に座った状態からゆっくりと横に寝転がるような感じで倒れたそうです。
バタンと倒れれば僕達もすぐに救急車を呼びましたけど、倒れた様子見ていた母親は本当にゆっくりと寝転がったので単に寝たんだと思ったみたいです。

・・・それと父は精神的に弱い部分があって、そんなに頻繁ではないにしろ嫌なことがあると家でも呑んでベロベロになることがあり、実は僕と最後の会話をしたあともかなり呑んでいたんですよね。
(これが意識を失う大きなキッカケのひとつだったんでしょうけど…)
そのため昔よりも頻度はかなり少なくなったとはいえ、僕は「まただよ…」みたいな感じでそれほど大ごとになっているとは思っていませんでした。
でも翌朝になっても昨晩とまったく同じ態勢でいることから救急車を呼ぶこととなったんですが、家で待っていた僕は救急車で運ばれてからも「2~3日して落ち着いたら戻ってくるんだうなぁ」みたいに思ってました。

・・・しかし、2時間ほど経って病院にいる母から電話があり「お父さん相当悪いみたい…もってあと5日ぐらいだって…」とのことですぐさま病院にかけつけると、集中治療室で苦しんでいる父親の姿。
酸素マスクをしているのに呼吸がときどき止まるような状態で母親も横で呆然としてました。
こんな時に父にも母にも励ましの言葉もかけてあげられることなく僕も呆然としてその日は夜遅くに帰宅し、翌日からはICUに毎日通うこととなったんですが・・・って、
父親の様子をこんなに事細かに書いていく必要はないんでここでヤメておきますね・・・

とにかくそれから意識は戻らないまま2週間ぐらい集中治療室に入院をした(高額療養費制度のお陰でなんとかなりましたがICUの入院費は1日20~30万円ぐらいかかってました…)んですが「いろいろ処置した結果、(意識は戻らないけど)一命はとりとめられICUでやれることはやった」ということで一般病棟に移され、それからは「悪いところで症状が安定してしまった」ことで2ヶ月後ぐらいに療養型の病院に転院してからは・・・母親はどう思っていたのか分かりませんが僕の中での父親に対する意識が変わってきたのは今でも覚えています。

倒れた当日は「とにかく早く帰ってきてよ」という感じでしたけど、意識がまったく戻る気配がないまま1週間が経ち、さらに1ヶ月が経ったぐらいから「あれ?これ今さら意識が戻ったとしても脳にも体にも障害が残ってリハビリとかで父親自身も家族(特に母親)もかなり大変な思いするんじゃ…」とか「自分でなんでもできていた父のことだから体が不自由になったら相当苦しむよなぁ…」みたいなことを感じるようになり・・・実の子供だからこそ言いますし表現が違うかもしれませんが「このまま意識が戻らないまま亡くなったほうがすべてが丸く収まるのかも…」みたいには意識が変わっていきました。

僕は母親とともに転院した先の療養型病院にも毎日のようにお見舞いには行ってましたけど・・・
意識が戻らず亡くなるまでずっと同じ状態だったので「お見舞い」といってもなにもすることができない僕達に気を使ってか、看護師さんが「意識がないようにみえても耳は聞こえていて奥さんが来られていることも分かってますよ」みたいなことを言っていただいたんですが・・・
僕からすると「よく人間最後まで耳は聞こえているって言うけど、どうにもならないこの状態で周りの状況が分かっている方が父にとってはつらいだろうから僕達が来たことすらまったく気づいて欲しくはない」とは正直思ってました。
・・・父親からすれば自宅で倒れた時点で完全に人生が終わっていた方がたぶん幸せだと思うので。

そして父はその後意識が戻ることなく数カ月後に同じ病院で亡くなったわけですが・・・
僕達にぜんぜん迷惑をかけない亡くなり方でしたし、「1週間はもたない」と言われながらも倒れてから半年もの間僕達に心の準備をさせてくれたので本当に「父親らしいなぁ」とは思いましたよ。

ちなみに僕と父親の関係って・・・僕がダラダラと一般社会から切り離されて生きていることもあって「大の仲良し」とは絶対に言えませんが、日常会話も普通にしていたので生活状況を考えれば「良好な関係」ではありました。
もちろん父親からすればこんな生活をしている息子に対して相当な怒りはあったと思いますし、現に一時期「この期限内に働かなかったら家を出ていけ。」なんてことを言われたこともありました。(親としては当り前の行動ですが)

とはいえ僕はいまだにアルバイトすらしておらず、強く言われたこの時も自分の体調の悪さを盾に親になにも言えない状態にしてしまったことがあり・・・親の優しさを利用した自分の卑怯さにうんざりしました。
そしてそれからというもの親も僕に強くは言えなくなり、「親を失望させる」ということすら子供としてはやってはいけないことなのに僕はそこからさらに「息子の将来の心配」までさせてしまったことは亡くなった今だからこそ後悔していることです。

基本的に感情を表には出すことがない僕ですが、父のことを思うと自然と涙が出るようになりまして・・・
これって別に父が居ないことで「僕が寂しい」とかいう気持ちではなく、とにかく「父親の人生」のことについて考えると胸が締め付けられてしまうんですよね。
僕のような生き方をしている人間がどんな形で亡くなろうが、これって完全な自業自得ですけど、父親に関しては(祖母から聞いて知ったんですが…)ここでは書けないような苦労を若い頃にしていて・・・そこから自分の力だけで這い上がり、母親と結婚をし・・・生まれた子供に愛情を注いで育てた結果が僕のような仕上がりになったわけですから。

僕に対して「父親としての責任を120%果たさせた」のに「父親としての喜びを1ミリも味あわせてあげられなかった」ってのは・・・さすがに涙ぐらいはでますよね。
よく引きこもりやニートを子に持つ親に対して「育て方が悪い、親の責任!」って言いますけど、僕に関して言えば(甘やかされて育ったことは認めますが)「100%僕の育ち方が悪かった。」としか言えません。
・・・遺品整理をしているときに見た父の手帳には僕達家族の誕生日にしっかりとチェックがしてあったのを見て、本当に愛情をもって接してくれたことを十二分に感じましたし。

でもこれだけのことを父親が亡くなってから思っていながら未だに行動できてない・・・というか残された母親に対して行動を全く起こしていない僕は・・・たぶん母親が亡くなっても「お母さんにもなんにもできなかったよぉ…」って後悔するだけなんでしょうね・・・

父が亡くなるずっと前に図書館で読んだSAPIOっていう雑誌での芸人の小藪さんのコラムだったかな?
「親孝行は親のためではなく、親を失ったときに自分が後悔しないためにする」みたいなことをおっしゃっていたと思うんですが・・・これって昔からけっこうよく言われていることとはいえ、父親が亡くなる前にはあまりピンとこなかったんですけど、実際これだけの後悔が僕を襲ってきたことを体験すると「人間って自分がその状況にならないと言葉の本当の意味って理解できないんだなぁ」なんてことは感じましたよ。

僕は「あの世」なんてものは全く信じておらず「亡くなったらそこでおしまい」だと思っています。
ただ・・・キレイ事でもなんでもなく「その人のことを覚えている人が一人でもいればその人は心のなかで生き続ける」とは思っている(なんかどっかの安モンの歌詞みたいですけど…)ので、
あの世が存在するならそれは「僕の心の中に居る父」が「あの世での父」なんじゃないかと思うんで・・・とりあえず「父が生き続けるためにも僕は生きていよう」って思いました・・・って、こんなワケの分からないこと書いても仕方ないですね♪

とにかく、「僕がここからどうするか?」については・・・
たぶんこれだけのショックを受ければ普通の人なら「父親がずっと見てるから」と思って社会復帰(僕の場合は社会デビュー?)をがむしゃらに目指すんでしょうが、狭い狭い自分の世界でしか生きてこなかった僕は大海に出ることはもはやできず、井戸の中で自分ができることをするしかないんですよね。
・・・でも「じゃあ、今現在している生活があなたの精一杯なの?」と聞かれると・・・「そうです!」とは絶対に言えませんけど、逃げグセが体に染み付いて進む道がもう限られている僕はやっぱ今のような「どうしようもなく小さなこと」をしていくしかないかな?


・・・というわけで・・・これでいちおう父に対して今まで心の中で感じてきたことはある程度書けたと思います。
ちょっとだけスッキリしました。

本当は父親が亡くなってから心に溜まり続けていたモヤモヤを残らず全部ここに書ききっておきたかったんですけど、パソコンに向かっていると思ったほどは書けないもんなんですねぇ・・・もっといろいろ考えていたハズなんですけど♪
それにこれだけ書いても明日からの生活になにか変化が起きるワケでもないし・・・まぁこのブログを作るキッカケになった題材ではあるので僕からすると意味はあったかな?

とはいえ、この時点でブログを作る前に書きたいと思っていたことを記事にしてしまったんで、もうこのブログを続ける必要はなくなってしまった気がするんですが・・・近いうちやってくるネタ切れまではボチボチ更新していきたいと思います。